先日の生徒代表による終業式のスピーチ原稿、分かりましたか?
聞いていた人は、耳が聞き慣れている言葉をもとに、大意は理解していたと思いますが、こんな事を話していました。
2つの故郷の狭間で
僕はブラジルのサンパウロ市、イタペチニンガと言う小さな町に生まれた。幼い僕には予想もしていなかったことが始まったのは8歳になった頃である。「日本にいるいとこに会ってみたい?」突然の母親の質問に、あまり深くは考えず、「行く」と僕は答えていた。日本にいる親戚をたよって、初めて来日したとき、日本人が当たり前のように日本語で会話をしているのを見て感心したのと同時に、言葉が通じないことに腹が立ったのを覚えている。そして、9歳の時、日本の小学校に入ることになった。日本語が話せなかったけど、同じクラスのいとこに通訳してもらいながら勉強した。
4年生になると、そのいとことクラスが離れてしまい、僕はまだ一年生の漢字しか覚えていなかったのに独りになってしまった。授業は、さっぱりわからず毎回テストで0点を採った。そのとき、僕に衝撃の言葉を言った人がいた。「お前ら外人はそんなものか?根性を出せ!」その日から、「日本人に負けたくない」という気持ちを持つようになったのが僕にとって大きな変化である。今でもその気持ちは忘れていない。
これまでの自分は何か失敗をすると、自分は外人だからという思いがあったが、今では自分も日本人と一緒だという気持ちでいる。自分でも不思議なことに、初めて日本に来た時にすぐに漢字を覚えたいと思った。自然と興味がわき、日本人の友だちよりも努力して覚えた。今では漢字は誰にも負けない自信がある。
僕には直さないといけないところが2つある。1つ目は両親に口ごたえをしてしまうところだ。ブラジルにいた頃は、両親に叱られると平気で口ごたえをしていた。2つ目は、日本人の同級生に対して外国語で悪口を言ってしまうことだ。心の中では、日本人と同じ気持ちでいたいと思う反面、こんなことばかりしていてはだめだと思っている。今の自分を変えたい。両親や日本人の仲間にはいつも敬意をもっていたい。
将来、日本で医療関係の仕事に就きたい。そのためにはもっと強い意志をもって勉強に励まなければならない。僕にはブラジルと日本という2つの故郷がある。神様が与えてくれたギフトだ。ブラジル人ではあるが、日本人の心をもった特別な人として誇りをもって生き、夢を叶えたい。
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「ゼロ」ではないスタートはありません。
しかし、その中のわずかな可能性を求めた時、「ゼロ」ではなくなります。
夢はただ持つものではなく、叶えるもの。
その思いが伝わってくる、素晴らしいお話でした。
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2010年、あなたにとってこの1年はいかがでしたか?
良いお年をお迎え下さい。