今年の七夕まつりでは、みなさんどんな思い出ができましたか?
さて、2年生の皆さんには今年度の夏の社会科の課題として、レポートが出ているということを社会科の先生から聞きました。内容は、「『戦争』のことを知ろう」 だそうです。おうちの方の実家に帰省したり、地域のお年寄りなどに聞き取りなどをしながら、身近にあった戦争について調べ、安祥中の生徒によって当時の戦争がどのような様子だったのか、実際に体験した人などから明らかにしようという企画です。このレポートをただのレポートで終わらせず、自由研究にしてみるのはどうでしょうか。
実は、皆さんの身近なところに、戦争に関する様々なものが残されていたり、ひょんなことから家で写真が見つかったりします。そういう事実を知っておくだけでも、私たちの身近で戦争が起こっていたことを知るよいきっかけになると思います。
ちょっと豆知識として、新聞記事から様々な戦争に関する話題を探ってみましょう。
<七夕まつり1日目 8月6日>
今年の安城七夕まつりが始まった8月6日は、広島に原子爆弾が落とされた日でした。8時15分、アメリカ軍によって実践で初めて落とされた核兵器は、広島市の人口が当時35万人ほどとされていますが、半分近くの14万人の命を奪ったとされています。
今年の平和祈念式典はたくさんの話題があり、国際連合の事務総長や駐日アメリカ大使、フランスやイギリスの代表などが、戦後初めて式典に参加しました。核兵器のあり方について、それぞれの国が考えたり、意見をしたりするためには、まず被害にあったこうした現場を見てみなければ分からないものもあるでしょう。
そうした意味で、8月6日という日は、意味のある日でした。
<七夕まつり2日目 8月7日>
安城七夕まつりの2日目、8月7日は、愛知県豊川市が空襲にあった日。豊川海軍工廠(こうしょう)といわれる大きな軍需工場が攻撃を受け、2500人以上の犠牲者を出しました。広島の原爆の次の日、愛知県も攻撃を受けています。この軍需工場は、東洋一の規模とされ、勤労動員されていた中学生や女学生などが多くの犠牲者となりました。写真は中日新聞の記事で、上空からたくさんの爆弾が落とされているのが分かります。
この地方にも、確かに空襲はあったのです。安城七夕まつりの2日目、8月7日は、愛知県豊川市が空襲にあった日。豊川海軍工廠(こうしょう)といわれる大きな軍需工場が攻撃を受け、2500人以上の犠牲者を出しました。広島の原爆の次の日、愛知県も攻撃を受けています。この軍需工場は、東洋一の規模とされ、勤労動員されていた中学生や女学生などが多くの犠牲者となりました。写真は中日新聞の記事で、上空からたくさんの爆弾が落とされているのが分かります。
7月20日には、もっと私たちにとって身近な岡崎市で空襲が起きました。この空襲で250名が命を落としたそうです。読売新聞によれば、岡崎市図書館交流プラザ(りぶら)で、市民団体の方が「岡崎空襲と戦争展」というのを10日まで開いているそうです。安祥中学校の学区のすぐ隣は岡崎市。その中心部で、焼夷弾などが落とされたという現実は、当時いつ自分のところに爆弾がおちてきてもおかしくない状況だったともいえます。
<七夕まつりの次の日 8月9日>
そして今日、8月9日は、もうひとつの被爆地、長崎に原子爆弾が投下された日です。
1945年8月9日
午前11時2分。
当時の長崎市の人口24万人のうち、7万4千人が亡くなったとされている原爆投下。当初は福岡県小倉市(現在の北九州市)で投下する予定だったものが、視界不良のために長崎市に変更されたそうです。時刻は10時44分。様々な用件が命運をわけて、やがて長崎に原爆が投下されます。
時事通信の記事からは、9日に平和祈念式典が開催されることが書かれています。
安城市で戦時下どのような状況だったか、安城市は空襲される恐れがなかったのか、私の身近な親類は戦争などを経験していないか、など、様々な話題が出てくるはず。NHKなどでも、戦争に関する特集がたくさん組まれています。
一度、こうしたことを知るのはとてもいい機会ではないかと思います。